ENERSICメソッド


歌の三大要素

①テクニック
②フィジカル
③マインド

をバランス良く整え、
声を自由に操れるという
高い歌唱力と共に
誰かではなく自分であることに誇りを持ち
エネルギッシュに自信を持って生きていける
そんなシンガーを育てます

 

歌声は、
●テクニック(技術)だけではまかなえません。
技術だけ高くても伝わってこなかったら良い歌とは言えません。

●マインド(精神)だけではまかなえません。
感情論だけでは力みの原因となり、過緊張で喉を痛めてしまう事も多々あります。
マインドが支えているのは分かりますが理論が理解できていないと危険です。

●フィジカル(体)だけではまかなえません。
優れた楽器を持っていても弾き方がわからなかったら宝の持ち腐れなのです。

どれが大事かというと、どれも大事なのです。
この3項目全てが常に影響を与え合いながら
バランスを取っています。

 


 

これは10年弱前に
ボイスアドバイザー認定を戴いた時の写真です。

私は、ギタリストだった父親の元で、
休日には父の生ギターで歌を歌うという女の子でした。
幼少期よりエレクトーンを習い音楽に親しんで育ってきました。

そんな中、
初めて観たミュージカル「ピーターパン」に感銘を受け、
ミュージカルの世界を目指し始めます。

こんなにキラキラした世界があるなんて!!!と心が踊りました。
あんなにキラキラした経験は生まれて初めてでした。

そしてすぐに劇団ひまわり俳優養成所に入り、演劇を学ぶ事になります。

 

高校卒業後は、某音楽系専門学校 ダンス科 ミュージカルコースに進学。
在学中のオーディションには、ダンスよりも歌で数々と通過し、
SONYグループでのデビューが決まった事もありました。

オープンキャンパスで
「デビューが決まっている平野友子さんです」と紹介され
進学を控えている高校生を目の前に代表してパフォーマンスする事になったり、

先生と東京へ通い、デビュー曲のレコーディングや
打ち合わせ、PVについても経験しましたが、残念ながら最終的にはこの案件は流れました。

でもとても良い経験だったと思います。

 

更にその後は、ミュージカルショーのオーディションに合格し、
シンガーダンサーとして18歳で歌のソロを任され、夏休みと冬休みは仕事として全国を巡演する事になります。

先生から直接声をかけられ、とあるCMソングも歌いました。
恩師のライブでのコーラスとしても一人抜擢され、初ステージも踏みました。

 

卒業後は、バンドのボーカリストとして8年程活動する事になります
ライブ、作詞、メロディメーカー、ラジオ出演など。
この間、一番多い時でライブは月に3~4回。リハーサルは毎週。
とても楽しかったです。

その中、某ボーカル教室のオーディションに合格し、
インストラクターとして雇われる事が決定します。
ここで5年ほど勤務しました。

 

 

ただ、このあたりで、だんだんと歌が思うように歌えなくなっていることに気づき始めます。
どうしたら良いのかはわからず、闇雲に練習はし続けていました。

そんなこんなで30歳を手前にした時、

「出来るか出来ないかではなく、私が本当にやりたかった事はなんだったんだろう」と
自分を振り返ります。

「どう考えてもやっぱりミュージカルに出たい!!!!!」と思った私は
ミュージカルの世界の門をもう一度叩くことを決めます。

そしてバンド活動を断ち
勤務していたボーカル教室も退職し、動き始めました。

 

 

が・・・・・

実際オーディションを受けに行くと周りの受験者の声と自分の声の違いに愕然・・・
受かっていく人達の歌声は明らかにみんな声楽の基礎を積んでいる方達ばかり・・
※ミュージカルの基礎は(RENTなどのロックミュージカルなど例外もありますが)やはりクラシカルな所にあると思っています。日本は特に。
地声だけの音色では到底厳しい。
音色一色では表現も乏しくなってしまいます。

でも、その頃の私の声は、裏声が潰れて綺麗に出なかったのです。
力んで地声を張り上げる その方法でしか、まともに声が鳴らなくなっていました。

ミュージカルに出たいのにこれは致命傷だと、
アンサンブルに私の声は混ざらない・・・溶け込まない・・と気づき

急いで声楽やミュージカルを本格的にまた一から習い始めました。
が、思うように出来ません。

おかしいと思い、何度耳鼻科に行けど、私の声帯は血色が良く結節一つない綺麗なもの。
歌の先生も、耳鼻科の先生も、私の喉は健康だし、その声は個性だと口を揃えておっしゃいました。

そんなはずはない。
昔はこんなんじゃなかった!
個性?そんなもので片付けられない。私は本気でこれを仕事にしたいんだ!!
どうして・・・
と毎日泣いていました。

諦めきれない私は、藁をも掴む気持ちで、更に模索し始めます。

そこで見つけた、世界の一色と呼ばれる名医、京都の一色クリニックの音声外科へ駆け込みました。
※今は閉院されています

ここで私は、

目黒の「ボイスケアサロン」を経営されている會田茂樹さんという方に出会います。
彼は月に一回東京から京都の一色先生の元へ、施術の為に来られていました。

彼は私の喉を触って、すぐに
「誰も気づいてくれなくて辛かったでしょうね」と私におっしゃいました。
本当に一人でずっとピーンと張り詰めていたから、
そして本当に誰もわかってくれなかったから、
この言葉には涙が止まらなかったです。
この時、私の喉で起こっていた事

私が行ったこの日、なんと彼が京都に来る最後の日だったのです。
奇跡のような滑り込みでした。

 

 

そして私は迷う事なく、東京に通うことを決めます。
ここから3年程、毎月欠かさず、東京へ通いました。
それと共に声は回復し、オーディションにも通過し始め、
舞台の世界へとまた進んでいきます。

 

そして、この間に裏声が鳴らせるようになりクラシックが歌えるようになり、聖歌隊のオーディションにも合格。
2年目にはソリストをする事にもなりました。

 

そして私は、彼に教わった歌の三大要素の大切さを身をもって実感する事になります。
恩人である彼の元で試験を受け、
彼が主宰する日本ボイスアドバイザー協会のボイスアドバイザー認定試験、1回目は落ち、
猛勉強してリベンジ2回目にして合格。
ボイスアドバイザーのこと

 


 


この経験は、私の発声メソッドの基盤となります。

声が出るのにも
出ないのにも理由があるのです。

精神的にしんどいのかもしれない
喉やその周りの状態が良くないのかもしれない
本当に単に技術不足なのかもしれない

そう、これは
技術的な問題だけではないのかもしれません。

闇雲にボイトレに行って発声を習えば改善される
というものではないかもしれない。
それが逆効果となる事もあります。

例えばよく聞く
エネルギッシュに大きな声で!という感情論は
とても危険です・・

肚を決めて大きな声を出す事で声が支えられる事も多々ありますが
それにはインストラクターの見極めが大切で
万人に有効な方法ではありません。
健康な心が体があってこそ、です。

発声の理論を理解している人の側で行わないと、大切な喉を潰してしまい兼ねません。

声は替えの利かない楽器なのです。
ギターの様に弦を張り替えたら良い、というものではありません。
オギャーと生まれたその時から
この世を去るその日まで
ずーっと同じものを使って生きていくのです。

声が良くなるのは結果で
大切なのはプロセスに何を選ぶかの見極め。

過去の私の様に
辛い思いをする人がいなくなります様に。

世の中にたったひとつの
大切なあなたの楽器を愛してあげて下さいね。
声はちゃんと応えてくれますから。